必要があって原稿を書いているのだけど、そして分量的には全然書けているのだけど、どうにも気分が乗らない、のは、思い当たるフシもある。何がどうという、具体的なことを書くとまた面倒なので、つれづれに書いてみる。どうあっても収まらないから。
わたしはとても怒っているし、絶望している。この絶望の深さがわたしを失語状態に追い込む。もう本当に、本当に、終わりにしたい。終わりにしてほしい。けれどそういうわけにもいかないのだろう。大人には大人の事情がある。うんうん。放送禁止歌みたいに、誰にそうせよと言われたわけでなくても、自主規制的に、大人の事情というやつをインストールして内面化してしまうのはわからなくはない。
でもそんなことでいいのか。大のオトナが。
コドモのゲームに振り回されたゼロ年代を、まだ踏襲するのか? まだ繰り返すのか? そんなものは批評ではない。ただの浅薄な知識の披瀝だし、頭のいい人競争はそれが好きな人に勝手にやらせておけばいい。でもそんな論理を、持ち込むな。少しずつ、大事に積み上げようとしている場所に、持ち込んでくれるな。そしてそんなくだらないものを、ありがたがるな。別に、そこがわたしの居場所だとか、そんなちゃちなことを主張しているのではない。もっと世界はタフだ、とわかってる。だが、愛、という言葉がアレであるならLOVEでもいいけど、もう、そういうものの微塵もない言葉をだらだら撒き散らすのはやめにしてほしい。
ひとつ、わたしは暴露しても構わない重大な事実を知ってはいるけれど、信義則に反することなのでそれは胸にしまっておく。でも、それを知ってるからこそ、こんな言葉を「議論」だとか「批評」だなどと呼んで、ありがたがってその土俵に乗ってはいけないとわかる。乗ったらみんな、不幸になるだけだ。ふざけんな。
今日、ひとつ芝居のゲネを見てきて、とても素晴らしい出来で、愉快な人たちにも会えた。それで元気をもらって、よし、じゃあ書くか、と思ってやっぱり書けなくなるのは、結局のところわたしがまた何かを書くことによって、あの愛のない、微塵もない、ただ何かを誇示し合うだけの競争の中に埋没していくかと思うと、まったくもって耐えられないから。頭のいい男の子たち。ああ、頭のいい男の子たち。河原でおしっこでもしてればいいんじゃない? それで、ペニスの大きさを競ったり、どこまでシッコを飛ばせるかを、競い合っていればよいのじゃない? もう、本当に、君たちは昔からそういうことが好きなんだから。知ってるよ。そんなに主張しなくても大丈夫だよ。
川は君たちの汚物を呑み込んでしまう程度には寛容です。浄化する力もそこそこある。でもわたしはそうではない。器が狭いのです。