メールをもらった。元気そうだねと言ってもらえるのは嬉しい。でも実はここ数日の体調は最悪で、真夜中をすぎると咳がとまらない。さっきも21時頃から倒れるように寝て、3時間くらいしてまた咳がではじめた。夢の中に母親から「元気?」と留守電が入っていた。元気ではない。良からぬことだ。だからひさしぶりに野菜を大量に買って、生姜をすり下ろして鍋に入れた。
昼間の、いちおう元気そうに振る舞うわたしが虚飾まみれとは思わないし、こうしてやまいを迎えているわたしも含めての総体が「わたし=フィクション」なのだろう。なんとかそれでやっていける。なんとかそれでやっていけるように人生をフィクショナルに刻んできた。大した人生ではない。でも後戻りはできないしするつもりもない。それはわたしの意志だし、わたしの意志を超えた何ものかの要請でもある。そしていつか消える。
今日は中フラを観た。『ザ・マッチメーカー』。すごくいい芝居だった。金は天下の回りもの。この物語の主人公は誰それです、とはゆうけれど、真の主人公はあの××だろう。金は欲しい。でもあったからといって幸せとはかぎらない、とゆうことを、今つよがりではなく感じている。今日あのお芝居を観られて良かった。まさにああいったことを最近は考えている。せきどまったものは流さなくてはならない。ただし、この咳は止まってほしい。
中フラのあと百年に、コートのボタンを取りにいった。トークの途中で落としたらしい。トークは、すごく落ち着いた空間で話ができた。お客さんからの質問も良かった。仲俣さんはいい感じに翼が生えていたし、樽本さんは淡々として揺るがなかった。その前夜の、こまばアゴラ映画祭の座談会も、ここに繋がった。
そして吉祥寺で8時間も飲んだのだ。楽しかった。しかし8時間も飲めばそのあいだに黒いものもやってくる。今のわたしにはそれが憎むべきものなのかどうか分からない。かつて黒いものは道徳とゆう名のもとにただちに排除されるべきものであった。けれどもわたしは今、道徳で生きてはいない。道徳はわたしを助けてはくれなかった。道徳は何もしてくれないばかりか、わたしを苦しめることさえあった。だから今、道徳はわたしの友達ではないし、黒いものを単純に悪いやつとは思えない。もしかしたら案外といいやつかもしれない。だがこの黒いものと仲良くしていく人生など想像できるだろうか? できる。少しおぞましい。が、それはそれで愛すべき悪徳だ。
いろんなものにいけなかった。東京デスロックも、□□□のライブも、世界の小劇場も、快快のパジャマパーティも、あれも、これも。でも今日できたのは、近所の劇場に自転車でいくことと、吉祥寺までの往復だけだった。飲んだのは昨日のことで、今日はシラフだ。明日はアゴラ映画祭の最終日、に行く予定だったけど、ちょっと無理かもしれない。静養しよう。たまっている仕事を整理して、部屋の掃除もしよう。必要なものと、そうでないものを分別しよう。そうだ、昨日、酔っぱらった状態で、吉祥寺でプリンターを買ったのだった。まだ封を切ってもいない。わたしはプリンターで名刺を刷っている。これでまた大量に名刺をばらまくことができるだろう。ひらひらと、タダ同然のように、名刺を配ってまわって歩くことができるだろう。もちろんそんなことはしない。決してしない。