今日は、4人で、荻窪で飲みました。いつものお店です。美味しかった。
ところで昨日の岸田戯曲賞授賞式で、会場に来てた岡田利規さんが「あの直後にあった公演のアフタートークで、地震、って言葉を使うのをためらった」とゆうようなスピーチをされてて、たしかに「地震」とか「3.11」とか、直接言えないっていうか、それをためらうわたしがいます。
いろんなことが未だに混乱していると思う。全然平気だと嘯く態度も、ひたすら脅えるようなことも、やっぱりちょっと異様なことだと感じます。わたしはそうした混乱とかダメージのようなものを、嘘をつかずに引き受けていきたい。マッチョにはなれないし、なるつもりもない。まったくもって傷つきやすい人間で、その傷つきやすさの中にむしろ、何か見出せるような予感があります。
大きく言って、たくましい20世紀の歴史。もうちょい短く言っても70年代くらいからのここ3、40年の日本の歩み。何か(他者)を蹂躙することで、それは成長してきたと思う。そして80年代から言葉は加速した。言葉、情報、広告、コピー、アンド、ペースト、反復、再生、情報、情報、言論、言葉、言葉、ネット、ニコニコ、言葉、言葉、言葉……。そうゆうものをわたしはとても全肯定できないし、ひずみはずっとあったのだ。
今夜荻窪で、わたしたち4人はずっと食べ物の話ばかりしていて、本当に美味しかったし、愉快だった。それで思ったんだけど、あの地震のあとで、毎日毎日を大切に生きるようになった気がする。美味しいものを食べたりとか、好きな人と一緒にいたりとか。
なんとなく明日(スナックちから)は、そんな話もしてみたいなーと思っています。そういう話のできる、素敵なコメンテーターたちも来てくれます。よかったら遊びに来てくださいねー
http://pulfujiko.exblog.jp/13382668/
写真は、荻窪・鳥もとの焼き鳥丼にほくほくしているタカヤマさん。